在宅ケア15日目

今日は祝日である。

訪問看護は基本、土日祝日はお休み。もちろん、夜間・緊急対応はしてくれるが。。

母の場合は今のところ、家族はNGで、看護師が必ず実施する必要のあるもので

特定の日に必ずというものはないが、GWも週3回のスケジュールで来ていただける

こととなっている。ありがたいことである。

 

本日も、定例ルーチンの

鼻から入れている腸まで達しているチューブから注射器で手動で抜く作業

5ml抜けた。茶色だがサラサラしている感じ。

自然に抜けてきたものを貯めておくバックは就寝中に300ml程度溜まっていた

ので捨てることにした。

 

午後に訪問看護師さんが来た。

うちに来るのは多分、3回目の人。母の情報は共有していただいているようで

特に心配な点はない。

 

いつもの、体温計、オキシメーター、聴診器など、母の体調確認。

特に問題はなし。

 

看護師さんも鼻から入れている腸まで達しているチューブから注射器で

手動で抜く作業を行うがほとんど抜けず。

バックにもほとんど溜まっていない。

 

その後、点滴を腕にしているところの交換などを行い、

鼻から入れている腸まで達しているチューブを固定しているテープなどの交換を

行ってくれた。

 

いつもの看護師さんやサブ的な看護師さんよりはベテランの看護師さんなので

さすがという感じで、少しでも快適になればといろいろと工夫をしてテープを

貼っていただいた。

 

最低限の必要不可欠なことに加えて、患者さんが快適になればと配慮してくれ

ている。

あきらかにこれまでの培ってきたノウハウがものを言う。

もちろん、患者が少しでも快適になるためならと、手間を惜しまずにして

くれている。本当にありがたいことだ。

 

訪問看護師さんの業務も無事に終了。

看護師さん、丁寧にしてくれていたので少々時間はかかってしまったが。。

 

看護師さんお帰りになり、やはり母はお疲れモードに突入。

ベッドで横になることになった。

 

20時過ぎに起きてきて

鼻から入れている腸まで達しているチューブから注射器で手動で抜く作業を

実施。抜けたのは2ml程度か。

自然に抜けてきたものを貯めておくバックはごく少量のため。そのまま。

 

 

今日は訪問看護師さんがいるところで、

母から少々、カチンとくる言葉が出てきた。

現状、日に日に、体力が落ちて起き上がること、歩くこともしんどくなってきて

いるのは理解できる。

 

しかし、母が言った

「家で過ごすことが現在、ストレスになっている。先日までお世話になって

いた病院の同じ病棟に入院して最期を迎えたい」

 

物理的に

病院(病棟)の中は基本、完全にフラットで広い廊下。トイレなどに行くのも楽。

それに対して自宅の家の中は段差があったり、通路が狭かったりと移動するのも

ストレスになる。

この点は病院のほうが100%いいに決まっている。

幸いなことに病棟の看護師さんが優しく、いろいろ面倒みてくれるいい人が多い

ということも、その通りだと思う。

 

母は物理的な面でストレスと言ったのかもしれないが、

日々、できるだけ、母のその日の体調や希望にそってスケージュールを考えて、

いろいろなことをしている私の立場をどう思っているのか。

 

看護師や主治医が来る時間は決まっているので、逆算して調整していること。

 

私自身がしたいこと、どうしてもしなければいけないことがあり、それをする

ために、前もって説明し、時間も調整しているのに、母の急な思いつきや身体を

動かすことが億劫なたために私の予定をキャンセルしなくてはならなくなること。

このことを母はどう考えているのだろうか。

 

私が自分の予定ができないことに文句を言ったことをストレスに感じるというなら

それはあまりに身勝手すぎないか。

 

母は何かして上げた後に「ありがとう」と言うが

申し訳ないが、私には全然響いてこない。

気持ちがこもっているとは思えない「ありがとう」は「言われない方がましだ」

と思えるくらいだ。

 

昔、母のことで父に言ったことがある。

私「母はなんでKY(空気が読めない)ことを言うんだ」

父「・・・・・・」苦笑いでごまかされた。

父「KYだと面と向かっては絶対言うな」と言われた。

 

父の本音はおそらく

「その場はさらっと受け流しておけ、母は深く考えて言ってないから、

どうせ言ったことはすぐに忘れるから。」

と、言われても。。。

 

現状、私はそこまでおおらかで、広い心で受け止める余裕なんてない。

どうしたものか。。。